符徴ふちょう)” の例文
森本の二字はとうから敬太郎けいたろうの耳に変な響を伝える媒介なかだちとなっていたが、この頃ではそれが一層高じて全然一種の符徴ふちょうに変化してしまった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴ふちょうに使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。
私の個人主義 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ秋の色のくうに動くのを美くしいと観ずるよりほかに能のない私には、彼の言葉が封じ込められた或秘密の符徴ふちょうとして怪しい響を耳に伝えるばかりであった。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
下からはまた二十本も三十本もの手を一度にげて、みんな仙太郎さんの方を向きながら、ろんじだのがれんだのという符徴ふちょうを、ののしるように呼び上げるうちに、しょうが茄子なすとう茄子のかご
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
親父おやじが額に汗を出した記念だとかあるいは婆さんの臍繰へそくりだとか中には因縁付いんねんつきの悪い金もありましょうけれども、とにかく何らか人のためにした符徴ふちょう、人のためにしてやったその報酬というものが
道楽と職業 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
前に客待の御者ぎょしゃが一人いる。御者台ぎょしゃだいから、この有様を眺めていたと見えて、自分が帽子から手を離して、姿勢を正すや否や、人指指ひとさしゆびたてに立てた。乗らないかと云う符徴ふちょうである。自分は乗らなかった。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
書見をちょっとやめた松本が、ああ好い頭だね、誰に結って貰ったのと聞くと、宵子はくびを下げたまま、ちいちいと答えた。ちいちいと云うのは、舌の廻らない彼女の千代子を呼ぶ常の符徴ふちょうであった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)