知章ともあきら)” の例文
生田の森の大将軍であった新中納言知盛とももりは、部下の勢が逃げ去ったり、討ちとられたりして、息子の武蔵守知章ともあきらと侍の監物けんもつ太郎頼賢よりかたの主従三騎になってしまった。
敦盛あつもり忠度ただのり通盛みちもり経俊つねとし経正つねまさ知章ともあきら——など十指を折っても折りきれない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
知盛とももり〕清盛の三男、宗盛の次弟。権中納言(あるいは新中納言)黄門どのとも呼ぶ。——一子知章ともあきらは生田附近の合戦で父に代って戦死。なお知忠ともただという幼童と一女が妻と共に同陣している。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小松少将有盛、丹後侍従忠房、皇后宮亮経正、左馬頭行盛、薩摩守忠度、能登守教経、武蔵守知章ともあきら、備中守師盛、淡路守清房、尾張守清定、若狭守経俊つねとし、兵部少輔雅明、蔵人大夫成盛、大夫敦盛あつもり
その中には、越前三位通盛、弟蔵人大夫業盛なりもり、薩摩守忠度、武蔵守知章ともあきら、備中守師盛、尾張守清定、淡路守清房、皇后宮亮経正、若狭守経俊、大夫敦盛といった名だたる一門の諸将も含まれていた。