挙母ころも)” の例文
また、いばら組から脱した沼沢甚右衛門は、常陸ひたち真壁まかべに、葦沢あしざわ弥兵衛は武州牛久在うしくざいに、桜場隼人さくらばはやとは三州挙母ころも村に、それぞれ一道場を持って大いに道風を興したとある。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
参河国加茂郡挙母ころもに福尾荘右衛門と云ふものがあつた。其妻奥平氏が一子曾七郎を生んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「三州、挙母ころも——」
一道は、三本木さんぼんぎを経て伊保いほへ出るもの。また諸輪もろわをとおり挙母ころもへ出る道。……それと、長久手ながくて祐福寺ゆうふくじをこえ、明智あけちつつみと出て、岡崎へいたる道との三つでござるが
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十余人にった人数をまとめて、百月川どうづきがわの谿谷から挙母ころもの宿場へと下った。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)