天目山てんもくざん)” の例文
敗軍はいぐんしょうは兵をかたらずと申します。ひとたび天目山てんもくざん惨敗ざんぱいをとられた父上が、弓矢をなげうつのご決心は、よくわかっておりまする。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
我が養家は大藤村の中萩原なかはぎはらとて、見わたす限りは天目山てんもくざん大菩薩峠だいぼさつたうげの山々峰々かきをつくりて、西南にそびゆる白妙しろたへの富士のは、をしみて面かげを示めさねども
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
越えるのはチト億劫おっくうだが、しかしまだ天目山てんもくざんの古戦場を初め、あの辺には見ておきたいと思ってその機会おりを得ない名所がいくらもある、そう言われるとこの際、行って見たいような気持がする
我養家は大藤村の中萩原なかはぎわらとて、見わたす限りは天目山てんもくざん大菩薩峠だいぼさつとうげの山々峰々垣をつくりて、西南にそびゆる白妙しろたえの富士のはをしみて面かげをしめさねども、冬の雪おろしは遠慮なく身をきる寒さ
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
天目山てんもくざんへ埋めろ! 天目山へ埋めろ!」
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「おう……天目山てんもくざんであいはてた、父の勝頼、また兄の太郎信勝のぶかつに、さても生写いきうつしである……。あのいくさのあとで検分けんぶんした生首なまくびうり二つじゃ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
養家やうか大藤村おほふぢむら中萩原なかはぎはらとて、わたすかぎりは天目山てんもくざん大菩薩峠だいぼさつたうげ山〻やま/\峰〻みね/\かきをつくりて、西南せいなんにそびゆる白妙しろたへ富士ふじは、をしみておもかげをめさねども
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それはむりではない、武田家重代たけだけじゅうだいの軍宝——ことに父の勝頼かつよりが、天目山てんもくざん最期さいごの場所から、かれの手に送りつたえてきたほど大せつなしな
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
簾中れんちゅうそのほか一門の女性までが、天目山てんもくざんのさいごへさして、炎々の下から離散を開始していた日である。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一族や、家臣のともがらにしても、みなこれ、かつて甲山こうざん強者つわものであり、すくなくも天目山てんもくざん以前までは、織田も徳川も何する者ぞ——と、信玄盛時せいじの自尊心はなお高かった者どもである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この月十一日、武田一門、勝頼以下、天目山てんもくざんに滅亡しおわんぬ——ということ。また、甲府占領接収のこと。信長公を始め味方の中軍は上諏訪かみすわに進駐、近く甲府御入城の予定——などの事柄であった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天目山てんもくざん
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)