午刻ここのつ)” の例文
平次と八五郎が、赦免状と生き証人をつれて鈴ヶ森に乗込んだ時は、午刻ここのつ(十二時)を遥かに過ぎてもう未刻やつ(二時)近くなっておりました。
「だって御新造さんは、上野の午刻ここのつの鐘が鳴るズーッと前から、ツイ今しがたまで、私と一緒にお勝手にいたんだもの」
、与力衆から尾張の御留守居へ申し入れると、——それは千万辱けない、明日正午刻ここのつ(十二時)当方から受け取りに参るで御座ろう——と来た。恐ろしく安値な挨拶だぜ
午刻ここのつ(十二時)のお時計が鳴るのを合図のように、笹野新三郎役宅の玄関に立ったのは、尾州家のお使い、大橋要人、同じく津田孫太郎、同じく鈴木倉之進の三名でした。
当斑組より八丁堀屋敷に預け置候金子一万両は至急当方にて入用に付明日正午刻ここのつ参上受取る可候、尾州家に御送り届けの儀は全くの筋違ひに付堅く無用に被遊可く為念申入候 敬白
「何がお早うだい、先刻さっき上野の午刻ここのつ(十二時)が鳴ったぜ、冗談じゃない」
午刻ここのつ(十二時)少し前には、妻玉江たまえ、娘百合ゆり、あやめ、下女おしの、下男作松さくまつ、内弟子鳩谷小八郎を、それぞれの部屋へ入れ、主人春日藤左衛門は、一色友衛とたった二人、奥の稽古部屋に相対して
巳刻よつ(十時)から午刻ここのつ(十二時)の間で」
皆んな昨日の昼の通りに、——お勝手にはお内儀と下女、お嬢さんは親御さんの部屋に、鳩谷さんは御自分の部屋、作松は物置、——御主人と一色さんは稽古部屋、そして昨日と同じように、上野の午刻ここのつが鳴ったら、禁制の賦を
午刻ここのつ半(一時)でしょうね」