勝麟太郎かつりんたろう)” の例文
たとえばオランダから観光船を贈って来た時に矢田堀景蔵やたぼりけいぞう勝麟太郎かつりんたろうなぞを小普請役こぶしんやくから抜いて、それぞれ航海の技術を学ばせたのも彼だ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
乗組員のりくみいん艦長かんちょう勝麟太郎かつりんたろう海舟かいしゅう)ら九十六にん、ほかに日本にっぽん近海きんかい測量そくりょうにきて、なんぱしたアメリカの海軍士官かいぐんしかんブルック大尉たいいら十にんがのりました。
摂津守を総督そうとくに任じて随行ずいこうには勝麟太郎かつりんたろう(今の勝安芳やすよし)以下長崎伝習生でんしゅうせいを以てし、太平洋をわたりて北米ほくべい桑港サンフランシスコくことを命じ、江戸湾を解纜かいらんしたるは、実に安政あんせい六年十二月なり。
神尾主膳は相変らず、勝麟太郎かつりんたろうの父、夢酔道人の「夢酔独言」に読みふけっている。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その時には名高い木村摂津守きむらせっつのかみ〔芥舟〕、勝麟太郎かつりんたろう〔海舟〕、それに随行して福沢先生が初めて亜米利加アメリカへ行かれた。合衆国の最も田舎、その時にはまだ今日の如く開けない桑港に行った。
「ああいいなあ。名人の至芸しげいだ」安房守は嘆息した。それから大声でやり出した。「俺はもとからの江戸っ子だ。俺の好きなのは平民だ。勝麟太郎かつりんたろう、これでいいのだ。つめて云うと勝麟だ。 ...
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日本の軍艦もサンフランシスコまで航海とう云うけで幕議ばくぎ一決、艦長は時の軍艦奉行木村摂津守きむらせっつのかみ、これに随従する指揮官は勝麟太郎かつりんたろう、運用方は佐々倉桐太郎ささくらきりたろう浜口興右衛門はまぐちおきえもん鈴藤勇次郎すずふじゆうじろう
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
幕府の咸臨丸かんりんまるが、僅か百馬力の船で、軍艦奉行木村摂津守を頭に、勝麟太郎かつりんたろうを指揮として、日本開けて以来はじめての外国航海を遂行したことがあるのでありまして、その経験の認識を
艦長木村摂津守せっつのかみ、指揮官勝麟太郎かつりんたろうをはじめ、運用方、測量方から火夫水夫まで、一切西洋人の手を借りることなしに、オランダ人の伝習を受け初めてからようやく五年にしかならない航海術で
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勝麟太郎かつりんたろうと云う人は艦長木村の次に居て指揮官であるが、至極しごく船に弱い人で、航海中は病人同様、自分の部屋の外に出ることは出来なかったが、着港になれば指揮官の職として万端ばんたん差図さしずする中に
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
の品川の海鼠台場なまこだいば、マダあれでも足りないと云てこしらえ掛けて居るではないか。れから又勝麟太郎かつりんたろうが兵庫にいって、七輪見たような丸い白い台場を築くなんて何だ。攘夷の用意をするのではないか。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)