修験しゆげん)” の例文
旧字:修驗
さう言へば、山田寺は、きみ小角をづぬ」が山林仏教を創める最初の足代あししろになつた処だと言ふ伝へが、吉野や、葛城の修験しゆげんの間にも言はれてゐた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
葵亭翁は蒲原郡かんばらごほり加茂明神の修験しゆげん宮本院名は義方吐醋よしかたとさくがうし、又無方斎むはうさい別号べつがうす、隠居いんきよして葵亭きていといふ。和漢わかん博識はくしき北越の聞人なたかきひとなり。芭蕉がくだんの句ものに見えざればしるせり。
葵亭翁は蒲原郡かんばらごほり加茂明神の修験しゆげん宮本院名は義方吐醋よしかたとさくがうし、又無方斎むはうさい別号べつがうす、隠居いんきよして葵亭きていといふ。和漢わかん博識はくしき北越の聞人なたかきひとなり。芭蕉がくだんの句ものに見えざればしるせり。