三崎さんさき)” の例文
安政五年戊午七月十一日(アルイハ十五日)、鷲津毅堂の妻佐藤氏みつが時疫の暴瀉ぼうしゃかかって没した。谷中三崎さんさきの天竜院に葬り法諡ほうしを恭堂貞粛大姉となされた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
窮屈でいやだと思いましたが、致し方がありませんから、江戸谷中やなか三崎さんさき下屋敷しもやしきへ引移ります。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
三崎さんさきです」
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
十一月二十三日毅堂の長女ゆう夭死ようしした。谷中三崎さんさきの天竜院に葬られて玉梢童女と法諡をつけられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
放逐ほうちくするというので、只今では私とお嬢様と両人おやしきを出まして、谷中やなか三崎さんさきへ参り、だいなしのいえ這入はいって居りまして、私が手内職などをして、どうかうか暮しを付けていますが
両親の墓のある谷中三崎さんさき天竜院てんりゅういんへまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机きょうづくえ磐台きんだいなど造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風をいとわず必ず墓まいりをいたしました。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)