“ひでただ”の漢字の書き方と例文
語句割合
秀忠100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
後に将軍職をけ継いだ三男長丸おさまる秀忠ひでただ)はちょうどこの年に生まれ、四男福松丸ふくまつまる忠吉ただよし)はその翌年に生まれた。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
将軍家秀忠ひでただが砂村先にお遊山ゆさんへおもむいたみぎり、つらあてにそのお駕籠かご先で割腹自刃を遂げたのでありました。
(家康は四月十七日以来、二条にじょうの城にとどまっていた。それは将軍秀忠ひでただの江戸から上洛じょうらくするのを待ったのち、大阪の城をせめるためだった。)この使に立ったのは長晟の家来けらい関宗兵衛せきそうべえ
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)