陸奥国むつのくに)” の例文
寛斎は初め伊沢氏かえの生んだ池田全安のむすめ梅をめとったが、後これを離別して、陸奥国むつのくに磐城平いわきだいらの城主安藤家の臣後藤氏のじょいつを後妻にれた。いつは二子を生んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
寛永かんえい十六年四月十六日の早朝。陸奥国むつのくに会津あいづ四十万石加藤式部少輔明成かとうしきぶのしょうゆうあきなりの家士、弓削田宮内ゆげだくないは若松城の南の方で、突然起った轟音ごうおんにすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
これは大金たいきんして、はるばる陸奥国むつのくにからせたうまで、これまでもいろんな人がほしがって、いくらでもかねすから、ゆずってくれないかと、ずいぶんうるさくもうんできたものですが
一本のわら (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
むかし陸奥国むつのくにに、一人ひとりのりょうしがありました。
忠義な犬 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)