輝元てるもと)” の例文
「安国寺は、毛利輝元てるもとどのの御寄進でしょうが——毛利殿こそは西国の重鎮、かつ大国、富強の程度でも、人材でも、わが織田家の比ではありますまい」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まして将軍家の進発と聞いたら驚き恐れて毛利もうり父子が大坂に来たり謝罪して御処置を奉ずるのは、あだかも関ヶ原のあとで輝元てるもと一家が家康公におけるがごとくであろう。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして、この微々たる家が、やがて信長、秀吉などの戦国時代にいたっては、かの毛利元就もとなり輝元てるもとを生み、またその支流からは、吉川元春きっかわもとはる小早川隆景こばやかわたかかげらの輩出を見るのであった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらに、一年を籠城し、ことしこそは、毛利輝元てるもと自身も、吉川、小早川も、西ノ宮附近に上陸し、大挙、信長を圧して来るかと見えたが——依然、その包囲は、示威恫喝じいどうかつにとどまっていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
容易には出て来ない毛利軍が輝元てるもとを始め、吉川きっかわ小早川こばやかわ、その他の宿老まで、大兵を挙げて、一上月城こうづきじょうや三木城の後詰うしろまきに上って来たことは、これこそ天の与え給う絶対な機会ではござりませぬか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「安国寺? ……うむ、毛利輝元てるもとを引き入れる手びきにな」
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)