“茨田”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
うまらた33.3%
いばらた16.7%
いばらだ16.7%
うまらだ16.7%
まんだ16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
また庶妹間人の穴太部あなほべの王に娶ひて、生みませる御子、うへの宮の厩戸うまやど豐聰耳とよとみみの命、次に久米くめの王、次に植栗ゑくりの王、次に茨田うまらたの王四柱。
くれ六つ頃から、天満橋北詰てんまばしきたづめの人の目に立たぬ所に舟を寄せて、先づ橋本と作兵衛とが上陸した。次いで父柏岡かしはをか、西村、茨田いばらた、高橋と瀬田にいとまを貰つた植松うゑまつとの五人が上陸した。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
茨田いばらだ、高橋、父柏岡かしはをか、倅柏岡、西村、宮脇、橋本、白井孝右衛門と暴動には加はらぬが連判をしてゐた摂津せつゝ森小路村もりこうぢむらの医師横山文哉ぶんさい、同国猪飼野村ゐかひのむらの百姓木村司馬之助しまのすけとの十九人
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
この御世に大陸から來た秦人はたびとを使つて、茨田うまらだの堤、茨田の御倉をお作りになり、また丸邇わにの池、依網よさみの池をお作りになり、また難波の堀江を掘つて海に通わし、また小椅おばしの江を掘り
築いても築いても堤防が崩れたり、橋が流れたりする場合においてもまた同様である。ここにおいてか橘媛は走水はしりみずの海に身を投じた。強頸こわくび衫子ころもこは、茨田まんだ断間たえまに身を投じた。
人身御供と人柱 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)