いん)” の例文
本家では桂山けいざん、名は元かん、字は廉夫れんふが、抽斎の生れた文化二年には五十一歳、その子柳沜りゅうはん、名はいん、字は奕禧えききが十七歳、末家では茝庭さいてい、名は元堅げんけん、字は亦柔えきじゅうが十一歳になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
恭公我は周公のいんにして勳王室にあり、楚ごとき劣等の諸侯に酒を送るさえ礼にかなわぬに、その薄きを責むるも甚だしと憤って辞せずに還った。宣王すなわち斉とともに魯を攻めた。