築塁ちくるい)” の例文
「いや、見事よ、あれほどな築塁ちくるいと布陣は、まず、家康ならでは、こう短時日に、出来でかしうるものはあるまい」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千早の築塁ちくるいはかどりが報告された。また、久子や多聞丸を伊賀から引き取って来たことなども耳に入れて
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小平太(榊原康政)は、ここより直ちに、人数を分けて、あの小牧一帯の築塁ちくるいにかかれ。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
折もよし、信雄の重臣で、蟹江の城主だった佐久間甚九郎さくまじんくろうは、信雄の命で、萱生かよう築塁ちくるいに出張し、留守には、前田与十郎種利よじゅうろうたねとしが、わずか三百人ぐらいな部下をもっているにすぎない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むしろ少数でも、一族一体を基盤とする金鉄の本塁ほんるいを奥河内のけんに築いて、築塁ちくるいが成ッたら、すぐさまそこへ天皇を迎えて、思うざまな統御とうぎょを取ろうとするものにほかならなかった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
のみならず、はやくも奥金剛おくこんごうの山中には、第二の赤坂城の築塁ちくるいにもかからせて
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
播州赤穂郡から備前三石みついしに入る国境であり山陽道一の険路でもあるので、ここでは源平争覇の時代から天下異変というとすぐ武族の充血や築塁ちくるいが見られ、とかく戦場にされやすい宿命の土だった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)