猪牙舟ちょきぶね)” の例文
閑雅かんがの趣おのずから画面に溢れ何となく猪牙舟ちょきぶね艪声ろせいかもめの鳴くさえ聞き得るような心地ここちがする。かの柳はいつの頃枯れ朽ちたのであろう。
それは子刻ここのつ(十二時)近い時分でした。両岸の灯も消え、吉原通いの猪牙舟ちょきぶねの音も絶えて、隅田川は真っ黒に更けて行きます。
この時もう我々の猪牙舟ちょきぶねは、元の御厩橋おうまやばしの下をくぐりぬけて、かすかな舟脚ふなあしを夜の水に残しながら、彼是かれこれ駒形こまかたの並木近くへさしかかっていたのです。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
印のある提灯ちょうちんで桟橋まで送られた二人は、待っていた猪牙舟ちょきぶねに乗って河岸をはなれた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
佃島つくだじまでは例年の通り狼烟のろし稽古けいこの始まる頃とて、夕涼かたがたそれをば見物に出掛ける屋根船猪牙舟ちょきぶねは秋の木葉このはの散る如く河面かわもせに漂っていると
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大川筋の船、大きいのは五百石、千石積みから、小さいのは釣舟、猪牙舟ちょきぶねにいたるまで、虱潰しらみつぶしに調べあげられた結果、抜け荷を積んだ船が一そう発見されました。
その中に上げしお川面かわもが、急に闇を加えたのに驚いて、ふとあたりを見まわすと、いつの間にか我々を乗せた猪牙舟ちょきぶねは、一段との音を早めながら、今ではもう両国橋を後にして
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
また北斎の支那趣味によりては江戸時代の老人の温和なる道徳的傾向を窺ひ得べしとすれば、国芳の風景よりしては女芸者を載せたる永代橋した猪牙舟ちょきぶね、鉄砲洲石垣の鯊釣はぜつり
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
勿論私にしても格別釣に執着があった訳でもありませんから、早速彼の発議ほつぎに同意して、当日は兼ねての約束通り柳橋の舟宿ふなやどで落合ってから、まだ月の出ない中に、猪牙舟ちょきぶねで大川へ漕ぎ出しました。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
同じ作者の『みなとの花』には、思う人に捨てられた女が堀割に沿うた貧家の一間に世をしのび、雪のふる日にも炭がなく、唯涙にくれている時、見知り顔の船頭が猪牙舟ちょきぶねいで通るのを
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)