“津守”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
つもり60.0%
つのかみ40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「六日。快庵、宗達、伯元と出水でみづ中山津守つもり宅訪ふ。内室、子息豊後介に対面。」中山氏の事は未だ考へない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「いや、知つてはゐなかつたのでせう。住の江の忘れ草が何であるかといふことは、津守つもり家の口伝くでんで、世間のものはただ勝手にそれを想像してゐるに過ぎなかつたのですからな。」
津守つのかみを下りた時、日は暮れ掛かった。士官学校の前を真直に濠端ほりばたへ出て、二三町来ると砂土原町さどはらちょうへ曲がるべき所を、代助はわざと電車みちに付いて歩いた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
後に豊後府内から同国津守つのかみに移されて、台所料として幕府から一万石を給され、晩年をこともなく過し、慶安けいあん三年九月十日にこうじた。享年五十六歳であった。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)