例えば第三十九段で法然上人ほうねんしょうにんが人から念仏の時に睡気ねむけが出たときどうすればいいかと聞かれたとき「目のさめたらんほど念仏し給へ」と答えたとある。
徒然草の鑑賞 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
洛東らくとう吉水禅房よしみずぜんぼうでは、期せずして同じ年に、法然上人ほうねんしょうにんが、専修念仏の新教義を唱道となえだしていたのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「たとへ法然上人ほうねんしょうにんにすかされまゐらせて念仏して地獄じごくにおちたりとも、さらに後悔こうかいすべからずさふらふ」という親鸞しんらんの言葉と、一脈いちみゃく相通あいつうずるところがあるからなのかもしれない。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「この世の渡りようは念仏申さるるようにすべし」というのが法然上人ほうねんしょうにんのいわれた言葉であります。つまり何が善であるか、何が悪であるか。また何が自分にとって益であるか損であるか。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
無官太夫敦盛むかんのたゆうあつもりの死後、その妻が乳呑児ちのみごかくすにもよしなく、この下り松の根元へ捨児すてごしたのを、黒谷の法然上人ほうねんしょうにんが拾い上げて育てたということが、名跡志に載っている。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然上人ほうねんしょうにんが、念仏を申さるるようにといわれたことは、阿弥陀仏に近づいているようでありますが、それでもまだ当為である。それだけはしなければならぬ。念仏申さるるように、それだけはしよう。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
聞いて、縮みあがったのだろう、かくの通り、法然上人ほうねんしょうにん以下、門弟百九十余名、連名をもって、叡山へ謝罪文を送ってきた。今、それを読みあげるから、静かにして聞かれい
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法然上人ほうねんしょうにんのようなお方ですら、御自身、十悪の凡夫だと云っておられる。親鸞しんらん上人は又——善人なおもて往生おうじょうを遂ぐ、いわんや悪人をや——とすら明言しているのではないか。
鍋島甲斐守 (新字新仮名) / 吉川英治(著)