河東節かとうぶし)” の例文
和十は河東節かとうぶしの太夫、良斎は落語家、北渓は狩野かの家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩あんまである。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
若旦那柳絮はいつぞやなかちょうの茶屋に開かれた河東節かとうぶしのおさらいから病付やみつきとなって、三日に上げぬ廓通くるわがよいの末はおきまりの勘当かんどうとなり、女の仕送りを受けて
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
勤番衆といえば名だけはいかめしいが、徳川もそろそろ末世で、いずれも江戸を喰いつめた旗本の次男三男。端唄や河東節かとうぶし玄人跣足くろうとはだしだが、刀の裏表も知らぬようなやくざ侍ばかり。
顎十郎捕物帳:01 捨公方 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
河東節かとうぶしの会へ一緒に聴きに行った事があるが、河東節には閉口したらしく、なるほど親類だけに二段聴きだ、アンナものは三味線の揺籃ようらん時代の産物だといって根っから感服しなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
享保に入りては河東節かとうぶしその他の音曲おんぎょく劇場に使用せられ、俳優には二世団十郎、元祖宗十郎らで、後世の模範となるべき芸道の故実こじつ漸く定まりたる時代なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
閉切った障子の中には更に人の気勢けはいもないらしいのに唯だ朗かに河東節かとうぶし水調子みずちょうし」の一曲がかなでられている。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
元禄において江戸演劇を創生し享保元文げんぶん年代に至つて河東節かとうぶしいだしたる都会特殊の芸術的感情は、宝暦明和の円熟期を限界となし安永天明を過ぎて寛政に及ぶや
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)