歓待かんたい)” の例文
三河風を守る徳川家では、由来、外交上の使節や、稀れな賓客にたいしてさえ、歓待かんたいの馳走は、至極、質素なものだという定評がある。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉子さんはこの辺の事情を、うすうす知ってはいたのであろうが、生れつきの善良なる心で、僕をいろいろと手厚く歓待かんたいしてくれたのだった。
振動魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
政府の一高官に依頼されて、宴席の女主人とし、また舞踊家として、ちょうどそのときベルリンに滞在中だったロシア大使を歓待かんたいすることになった。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
ここらの農家では夜も灯をともさないのが習いで、ふだんならば火縄を吊るしておくに過ぎないのであるが、今夜は客への歓待かんたいぶりに一挺の蝋燭ろうそくがテーブルの上にともされている。
雪女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
鎖国の原因 チベット人は非常に外国人を歓待かんたいする気味がある。今日は英国人に対し非常な怨憎心えんぞうしんいだいて居りますけれども、その実チベット人はどの国民に対しても非常に歓待する性質である。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
加うるに、そう旦那の胸には一もつのあることなので、あれからもなお「豪傑豪傑」と、一家あげての歓待かんたいだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心に空虚のあったB子夫人が、その胸に如何なる夢を描いたことやら、また其の夫君ハズが出張にでかけた翌日、偶然のように訪ねていった僕をどんなに歓待かんたいしたか。
恐しき通夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
信雄は、京都にも、五日ほど留まって、ここではあらゆる歓待かんたいをうけ、今はもう、秀吉ならでは夜も日も明けないような満足をもらして、三月二日、伊勢に帰った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長は、使者を泊めて歓待かんたいもし、充分、謝意ものべたが、その使者の見ているところで
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一家の歓待かんたいはいうまでもない。全家をあげてその日は盛宴のかぎりをつくす。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長が甲州凱旋がいせんの道を東海道に選んで、多分に彼の好遇と歓待かんたいに甘えて帰った後、わずかまだ一ヵ月を出ないうちのことであるから、信長としては、その返礼の意味をふくめ、家康としては
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉たるものも、この主君の歓待かんたいに、どうして易々いいと甘んじていられよう。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、迎えもし、歓びもして、歓待かんたいを示すであろうと思っていたらしい。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、勝家の歓待かんたいをうけながら、その歓待の過分に笑っていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶を代えろ、酒はまだかと、歓待かんたいに忙しかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)