師泰もろやす)” の例文
と、にわかに大規模な作戦を立て、高師直こうのもろなお師泰もろやす総帥そうすいとする、二十余ヵ国の兵六万をもって、東条、赤坂の攻略に大挙さしむけた。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
へたるように、兵は河原で腰をおとした。休め、の令が出たからである。というのは、ここで直義を待ち迎えたこう師泰もろやすの部隊がある。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「は。すでにこう師泰もろやす以下三千騎ほどを、とりあえず一陣として先に急がせ、吉良、細川、佐々木道誉らも、つづいて戦場へむかわせました」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一色をはじめ、吉良、今川、石堂など三河党の将はあらましいたが、宗家の将では、高ノ師直、師泰もろやすがみえるだけだった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう師泰もろやすが、急遽、加勢に向ったのはほんとだが、まだ、美濃平野の対峙だった、そこまでの狼狽などするはずがない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかる後、いよいよ瀬田の攻撃を弟直義と師泰もろやすの手にあずけ、自身は中軍の精兵一万余をひきいて宇治へ向った。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師泰もろやすの軍は、堺から石川河原へすすみ、正月の十四日には、もう東条へせまって、楠木氏の根拠地をついていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて粟津あわづの岸を占領してからは、官軍も腹背ふくはいの脅威にあきらかな苦悶をみせはじめ——またまもなく、正面のこう師泰もろやすも、瀬田の一角を突破していた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何の用意もないが、ご病後の鬱散うつさんじに、という軽い意味で、誘いには、御舎弟も共にとあったが、その師泰もろやす
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、意外にお目の細かい所もある。藤夜叉どのの身を、弟師泰もろやすが軍中にかくして連れまいったことなどは、どうしてか、いつのまかご存知でもある?」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下御所しもごしょ(弟、直義)は、陸軍をひきいて、こう師泰もろやすを旗本がしらとし、少弐ノ頼尚よりひさを先陣に、筑紫つくし、長門、周防、安芸、備前、備中の兵をこぞッて陸上を行く。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するうちに、もう松ばやしの西の端れ——西国街道へつづく平野には、足利直義の軍兵がまっくろにあらわれていたし、蓮池方面からも、高ノ師泰もろやす隊の騎兵一団が
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それのみでなく、御幽居には矢来やらいをめぐらし、諸事のお扱いも、一倍きびしいままと今日も聞いた。……あれほど、師泰もろやすへも先日、おゆるやかにいたせと申しおいたのに」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、直義ただよしだの、こう師泰もろやす師重もろしげ、南遠江守、畠山阿波守、細川顕氏あきうじなどは、先にべつな所から上がっており、尊氏は執事の師直もろなお、仁木、石堂、上杉、吉良などの幕将をつれて、陸に立った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
師直もろなおの弟、高ノ師泰もろやすだった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「来てくれたか、師泰もろやす
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうノ越後守師泰もろやす
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)