太宰春台だざいしゅんだい)” の例文
「その原書はイタリーのものだそうだ、太宰春台だざいしゅんだいの独語といったようなもの、つまり感想録の一種だろうと思う」
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
曾つて、内蔵助は、時の儒者、太宰春台だざいしゅんだいの著書「三王外記さんのうげき」の評判をきいて、大阪の書肆しょしからとりよせてみた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そもそも江戸時代の支那文学がやや明かに経学けいがくと詩文との研究を分つようになったのは、荻生徂徠おぎゅうそらいの門より太宰春台だざいしゅんだい服部南郭はっとりなんかくの二家を出してより後のことである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
されば太宰春台だざいしゅんだいが『通鑑綱目つがんこうもく』全篇を通じて朱子の気にかのうた人は一人もないといったごとく、第一儒者が道徳論の振り出しと定めた『春秋』や、『左伝』も、君父をしいしたとか、兄妹密通したの
遅塚麗水ちづかれいすい翁またかつてこのあたりに鄰をぼくせしことありと聞けり。正徳しょうとくのむかし太宰春台だざいしゅんだい伝通院でんずういん前にとばりを下せしは人の知る処。礫川こいしかわの地古来より文人遊息の処たりといふべし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
時の人、太宰春台だざいしゅんだいは、その著「三王外記」のうちに、這般しゃはんの事情を、こう書いている。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)