劉禅りゅうぜん)” の例文
延凞えんきの年号は、二十年を以てあらためられ、景燿けいよう元年となった。てい劉禅りゅうぜんは、この頃からようやく国政にみ、日夜の歓宴にひたりはじめた。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事成るやただちに、孔明は祁山きざんへ向って軍をかえした。途中、表をしたためて、成都へ使いを立て、後主劉禅りゅうぜんへ勝ちいくさのもようを奏した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
成都の上下は、き返るような歓呼だった。後主劉禅りゅうぜんにも、その日、鸞駕らんがに召されて、宮門三十里の外まで、孔明と三軍を迎えに出られた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沔陽べんようの廟前に後主こうしゅ劉禅りゅうぜんが植えたというかしわの木が、唐時代までなお繁茂していたのを見て、杜子美がそれを題して詠ったものだといわれている。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉禅りゅうぜんは、これを告ぐるのがやっとであった。夜来の重臣会議もまだ一決も見ずにある。沈湎蒼白ちんめんそうはく、誰の顔にも生気はない。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ために張蘊はよけいに思い上がって、蜀の百官をしり眼に見くだし、殿に上っては、劉禅りゅうぜん皇帝の左に坐して、傲然ごうぜん、虎のような恰好をしていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのあいだに、故車騎将軍張飛のむすめは、ちょうどことし十五になっていたので、幼帝劉禅りゅうぜんの皇后として、正宮にかしずき入れることとなった。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、妊娠中に夫人が、北斗星を呑んだ夢を見たというので、幼名を「阿斗あと」とつけ、すなわち劉禅りゅうぜん阿斗あとと称した。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四川しせんの奥地はすでに冬だった。蜀宮雲低く垂れて涙恨るいこんをとざし、帝劉禅りゅうぜん以下、文武百官、喪服もふくして出迎えた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後主劉禅りゅうぜんは、孔明がこう別れを奏してひれ伏すと、何のことばもなくしばし御衣ぎょいたもとおもてをつつんでいた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同時に、嫡子劉禅りゅうぜんの王太子たるべき旨も宣せられた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)