信貴山しぎさん)” の例文
第二の高時、第三の高時、総じて、不逞なる仮面の敵を、誅罰ちゅうばつしきらぬうちは、この信貴山しぎさん毘沙門堂びしゃもんどうの軍はめったに解くわけにはゆかぬ
聖徳太子が四十三歳の時に信貴山しぎさん洞簫どうしょうを吹いていたら、山神が感に堪えなくなって出現して舞うた、その姿によってこの舞を作って伶人れいじんに舞わしめたとある。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
近代的交通機関とその宣伝の行届く限りの近郊風景はことごとくこの黒髪の妖気と閑寂なる本堂の埃と暗闇の情景を征服して、寺といえども信貴山しぎさんとなり生駒いこまとなり六甲ろっこうとなり
それが取れども尽くることなき宝の米俵であったのに、或る時底をはたいて白い小蛇こへびが飛び出し、それ以来空俵あきだわらとなったというなどはなお大ウソであるが、この話よりも古くできた信貴山しぎさん縁起えんぎ
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
先生はこの調査のためにわざわざ河内国かわちのくにへ出張し、観心寺かんしんじおよび信貴山しぎさん、金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑かっちゅうを調べたのです。また加納夏雄先生と今村長賀ちょうが先生とは太刀たちのことを調べました。
すると、信貴山しぎさんからは、ふたたび大塔の御名をかざして「処分はこちらでする。ともあれ四名を引渡せ」と、高圧的に言ってきた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さだめし、そちの髀肉ひにくも、だいぶ肥えたであろう。即刻、信貴山しぎさんにおる信忠の加勢にけ。——こんどは陣中で喧嘩などすな」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当然、率先して、父君のこの還幸をお迎えに出ていなければならないはずの大塔ノ宮が、信貴山しぎさん毘沙門堂びしゃもんどうから降りても来ないことだった。
こうして、正成が、いちど千早へ引きあげて行くまでには、信貴山しぎさん毘沙門堂びしゃもんどうにある大塔ノ宮へも、洛中の千種忠顕ちぐさただあきへも、使いをたてて、つぶさにここの戦捷せんしょうを報告していた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信貴山しぎさん攻めの折、明智光秀どのの手勢に加わり、一方に御陣借ごじんがりして働いておりました」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と見て、居城信貴山しぎさんに、多年の仮面をぬぎ、明らかな叛旗はんきをひるがえしたのであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿ノ法印というのは、一時捕われて、六波羅監禁をうけ、その監視を破って宮の吉野、十津川とつがわの挙兵にはしり、いまは信貴山しぎさんにいて、大塔軍随一の、股肱ここうの将と評判のある叡山の巨頭である。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尼ヶ崎の荒木村重あらきむらしげとか、河内の三好下野みよししもつけ、同笑岩入道しょうがんにゅうどうとか、遠くは大和の信貴山しぎさんの多門城に、なお蟠踞ばんきょしている松永弾正久秀などまで、敵地を見やれば、彼が踏破とうはした土地や洛中洛外の面積よりは
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信貴山しぎさん城の松永久秀が、大和へ攻め入る事前に
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)