佐久間象山さくまぞうざん)” の例文
佐久間象山さくまぞうざん先生を崇拝して、省諐録せいけんろくを死ぬるまでそばに置いていた。爺いさんは、「なんとかいう、歌を四角な字ばかりで書いてある本」
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
もう一つは真の開国派で、ふるくは安藤昌益あんどうしょうえき、佐藤信淵のぶひろから、渡辺崋山かざん高野長英たかのちょうえいを経て、ペリー来航当時は佐久間象山さくまぞうざん、橋本左内などがその代表者であった。
黒船来航 (新字新仮名) / 服部之総(著)
拙者は、長州の藩士はんし金子重輔かねこじゅうすけという者。この松代藩で有名な佐久間象山さくまぞうざん先生の名をおしたいして、遙々はるばる、江戸から廻り道して立ち寄ったが、生憎あいにく、象山先生は御不在、むなしく帰って来たところだ
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左様——蘭学で箕作阮甫みつくりげんぽ佐久間象山さくまぞうざんなどというところが大家だったね、それから黒田の永井青崖ながいせいがいというのがなかなか出来た、大阪には緒方洪庵おがたこうあんという先生がいたが、それらはみんな蘭学が主で