伊勢路いせじ)” の例文
慶応四年の五月から六月へかけて、伊勢路いせじより京都への長道中を半蔵と共にしたその同じ思い出につながれているのも、この男である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「このような身の上でござりますから、どこという定めもござりませぬ。中国から京大坂、伊勢路いせじ、近江路、所々をさまよい歩いておりました。」
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
おりから伊勢路いせじ一円は、いよいよ秀吉ひでよしが三万の強軍をりもよおして、桑名くわな滝川一益たきがわかずますを攻めたてていたので、多羅安楽たらあんらくの山からむこうは濛々もうもうたる戦塵せんじんがまきあがっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みちを伊勢路いせじにとって流れついたのがこの山田の町であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
この旅の間、半蔵は名古屋から伊勢路いせじへかけてほとんど毎日のように降られ続け、わずかに旧師寛斎の墓前にぬかずいた日のみよい天気を迎えたぐらいのものであった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今度、秀吉が伊勢路いせじへ進出して来た意中には、初めから、大きな目算もくさんがあったのである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢路いせじ美濃路みのじ、いずこといえど、この大戦場の十里四方、柵門さくもんのないところはない。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美濃の方じゃ、お前、伊勢路いせじからも人足を許されて、もう触れ当てに出かけたものもあるというよ。美濃の鵜沼宿うぬましゅくから信州本山もとやままで、どうしても人足は通しにするよりほかに方法がない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
伊勢路いせじいくさのあるせいか、日がしずんだのちまでも東の空だけはほの赤い。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)