亘理わたり)” の例文
「父定宗が白石を攻めたときに着たもので、それまで亘理わたりであったのを、初めて伊達の姓をたまわり、御一門に列した記念のものだ」
久慈くじ郡の佐竹ノたて亘理わたり郡の相馬一族。またさきに尊氏から、奥州管領かんりょうの名で東北に派遣はけんされていた斯波しば家長の党などが
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鈴木君は磐城亘理わたり小鼓こつづみ村の旧家の出で、それで号を鼓村こそんといっているが、今から百二十年ほど前の鈴木君の家へ、おりおりもらいにくる老人があった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
能登守の語るところによれば、南条の本姓は亘理わたりといって、北陸の浪士であるとのこと。能登守とは江戸にある時分、砲術を研究していた頃の同窓の友達であったということです。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
成実は亘理わたり郡二万三千八百石を賜わって亘理城に居らしめらるるに至ったという。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
道場では武田平之助と亘理わたり又十郎が稽古をつけていた。もうひとりの師範代は坐って見ていたが、主計が来ると眼で招いた。
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と言うまでもなくその一人は南条——能登守に亘理わたりと呼ばれて旧友のような扱いを受けた人——それから、も一人は五十嵐と呼ばれた人、つまりこの二人は過ぐる夜の破牢者の巨魁きょかいなのであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして亘理わたり郡亘理の館主たてぬしで、故政宗の第九子に当る安房宗実あわむねざねの二男、刑部ぎょうぶ宗定がよろしかろう、という案を出して来た。
「おお、御身は亘理わたり
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
富美子は吉村教授の旧友の娘である、実家は宮城県亘理わたり郡の長瀞という山村の豪家で、彼女は女学校をえるとすぐ上京し、片町坂の教授の家から女子大へ通学していた。
花咲かぬリラ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「同じ年九月、江戸屋敷焼亡。また、亘理わたりさま(安房宗実)御二男、刑部宗定ぎょうぶむねさだどのをもって、小野の伊東家を再興された。元高もとだか二千六百七十石のところ、改めて千八十五石となる」
夜半十二時過ぎ、来太は五人と別れて亘理わたりという小駅に下車した。
花咲かぬリラ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)