久能山くのうざん)” の例文
はじめ、竜華寺へ行ったのは中学の四年生の時だった。春の休暇のある日、たしか静岡しずおかから久能山くのうざんへ行って、それからあすこへまわったかと思う。
樗牛の事 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
本道を行かずに久能山くのうざんへ廻って、一の鳥居に近いところで駕籠を卸すのを見定めた七兵衛が、がんりきへ耳打ちをしました。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
慶安元年に駿河するが久能山くのうざんに葬った権現様を、御遺言で日光山に改葬し、東照宮を御造営の折り、譜代外様を問わず、諸侯きそっていろいろな寄進をなされた。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「世の中は近々平和になるよ。だが今後とも小ぜりあいはあろう。幕臣たる者は油断してはならない。八郎、お前、久能山くのうざんへ行け! 函嶺かんれいけんやくしてくれ!」
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
間もなく僕達は久能山くのうざんへと志した。左手に海が見えた時、僕の車屋は前の俥の団さんに話をしかけた。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
興津おきつあたりでとまつて、清見寺せいけんじ三保みほ松原まつばらや、久能山くのうざんでもながらゆつくりあそんでかうとつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
静岡の南東久能山くのうざんの麓をめぐる二、三の村落や清水市の一部では相当潰家つぶれやもあり人死ひとじにもあった。
静岡地震被害見学記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「旦那さまには、久能山くのうざんにて御生害ごしょうがいにございます」
日本婦道記:箭竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
拜見するにうたがひもなき天下三品の短刀にて縁頭ふちがしら赤銅斜子しやくどうなゝこに金葵の紋散し目貫は金無垢の三疋の狂獅子くるひじしさくは後藤祐乘いうじようにて鍔は金の食出し鞘に金梨子地に葵の紋散し中身は一尺七寸銘は志津三郎兼氏かねうぢなり是は東照神君が久能山くのうざんに於て御十一男紀州大納言常陸介頼宣卿へ下されし物なり又同じこしらへにて備前三郎信國のぶくにの短刀は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へくだろう、もし時間が許すなら、興津おきつあたりで泊って、清見寺せいけんじ三保みほの松原や、久能山くのうざんでも見ながらゆっくり遊んで行こうと云った。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
元和げんな二年、家康が駿府すんぷに死ぬと、はじめ久能山くのうざんに葬ったが、のちに移霊の議が起こって、この年の秋から翌年の春にわたって現在の地に建立されたのが、大猷廟だいゆうびょうをはじめ日光の古建築である。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
久能山くのうざんへ参詣して静岡に泊った。先生が
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)