不行迹ふぎょうせき)” の例文
玄隆はわかい時不行迹ふぎょうせきのために父永寿に勘当せられていたが、永寿の歿するに及んで末期まつご養子としてのちけ、次で抽斎の門人となり、また抽斎に紹介せられて海保漁村の塾にった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)