下野国しもつけのくに)” の例文
旧字:下野國
これをそばで聞いていた当年十七歳になる下野国しもつけのくにの住人足利又太郎忠綱は、憤然として知盛の前に進むと断固たる口調で進言した。
こゝ下野国しもつけのくに安蘇郡あそごおり飛駒村とびこまむらに吉田八右衞門という人が、後に多助の荷主に相成りますが、此の人が三十五歳になるまで江戸へ出た事がありませんのは
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
下野国しもつけのくに芳賀郡はがごおりの大内のしょうとよぶ土地だった、そこの柳島に、一粒の念仏の胚子たねがこぼれたのは、二、三年前だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
露というすずりも将来したが竹生島へ納むとあり、太刀は勢州赤堀の家にあり、避来矢ひらいしの鎧は下野国しもつけのくに佐野の家にあり、童は思う事をかなえて久しく仕えしが、後にきつう怒られてせしとかや
霞亭と凹巷とが江戸を離れて下野国しもつけのくにに入り、路を転じて東に向つたとき、十月の風が客衣を飜した。「下毛路向東。十月朔風吹。」その東に向つたのは、宇都宮附近よりしたことであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
下野国しもつけのくに那須の下蛭田村に助八という者あり。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
九条家の者から聞いたのだが——下野国しもつけのくに安蘇郡あそごおり田沼の土豪で、俵藤太秀郷たわらのとうだひでさとというのが、なんでも、下野ノ牧の馬やら、たくさんな土産物をもって、お礼に上ってくるとかいうはなしだ……。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この小説は五百いおが来り嫁した頃には、まだ渋江の家にあって、五百は数遍すへん読過したそうである。或時それを筑山左衛門ちくさんさえもんというものが借りて往った。筑山は下野国しもつけのくに足利あしかがの名主だということであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)