下松さげまつ)” の例文
下松さげまつまでは五里ある、花嫁殿は一里ごとに休み、そこで衣装を替え輿を替えてお立ちという次第だ。家を出たのが朝六時、下松へ着いたのが暮れ六時である。
そればかりではない下松さげまつ町にいま評判の成木持助という者がいる、大阪の大きな材木問屋の二男だそうで、つい十月ばかりまえ下松に二階造りの豪奢ごうしゃな家を建て
一方ではかの下僕げぼく出来六できろくをここへ追い込み、贋金作りの闇七にも必要な位置を与えた。——かの下松さげまつにおける成木持助の出現のごとく、ここでもまた彼は重要な役割を果たすに違いない。