“やましろのおいねのみこ”の漢字の書き方と例文
語句割合
山背大兄王100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「御井寺勘録寺家財雑物等事」及び「古今目録抄」によれば太子の御子みこ山背大兄王やましろのおいねのみこと由義王の創建されしところと伝えられる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
山背大兄王やましろのおいねのみこは、太子と刀自古郎女とのあいだに長子として生誕され、よく先王の遺訓をまもられた方である。舒明天皇より皇極天皇にいたる間の行動は、書紀につまびらかに示されているとおりである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
さきに上宮太子の御子山背大兄王やましろのおいねのみこは、蘇我入鹿の軍に襲われたとき、御一身のため万民をわずらわすを慎しみ給い、「身をて国を固くせむは、また丈夫ますらをならざらむや」と法隆寺に自頸じけいされたのであったが
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)