“きょうさい”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
匡済25.0%
况斎12.5%
杏斎12.5%
凶歳12.5%
恭斎12.5%
暁斎12.5%
狂斎12.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
泰西流の政理をもってこれを匡済きょうさいすることを目的としたるがごとし。
近時政論考 (新字新仮名) / 陸羯南(著)
後に抽斎とまじわる人々の中、抽斎にさきだって生れた学者は、安積艮斎あさかごんさい、小島成斎、岡本况斎きょうさい、海保漁村である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この年十二月二十一日の塙次郎はなわじろう三番町さんばんちょう刺客せきかくやいばに命をおとした。抽斎は常にこの人と岡本况斎きょうさいとに、国典の事をうことにしていたそうである。次郎は温古堂おんこどうと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「親分、五丁目の杏斎きょうさい先生が、お話をし度いことがあるとかで、下で待って居りますが」
杏斎きょうさい先生が持って行った徳利二本の毒が違って居るわけだよ、——そして、お酌のお袖が——たよりに化けた米吉が、徳利を持って行って又持って帰ったと言って居るのも本当だ
三年一回の凶歳きょうさいありても飢餓きがうれいまぬかるべき割合ではありませぬか。
禾花媒助法之説 (新字新仮名) / 津田仙(著)
老年に及んでけい躋寿館せいじゅかんに講ずることになった。慶応二年九月十八日に、六十九歳で歿した人である。抽斎の生れた文化二年には八歳だから、郷里にあって、父恭斎きょうさい句読くとうを授けられていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
劇壇において芝翫しかん彦三郎ひこさぶろう田之助たのすけの名を掲げ得ると共に、文学には黙阿弥もくあみ魯文ろぶん柳北りゅうほくの如き才人が現れ、画界には暁斎きょうさい芳年よしとしの名がとどろき渡った。境川さかいかわ陣幕じんまくの如き相撲はその後には一人もない。
銀座界隈 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これら無数の諷刺画中最も奇抜なるものは大抵国芳狂斎きょうさい二家の筆にして芳虎芳年芳幾らこれにつげり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)