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今川了俊
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いまがわりょうしゅん
ふりがな文庫
“
今川了俊
(
いまがわりょうしゅん
)” の例文
命松丸は生涯、兼好法師にかしずき、兼好の死後、師の反古を集めて
今川了俊
(
いまがわりょうしゅん
)
に提出し、あの“
徒然草
(
つれづれぐさ
)
”を残した者だといわれている。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
二条流では頓阿から二条流歌学を
承
(
う
)
けた権大僧都
経賢
(
きょうけん
)
がおり、冷泉流では為秀に教をうけた
今川了俊
(
いまがわりょうしゅん
)
が、幼き冷泉
為尹
(
ためまさ
)
(為秀の
甥
(
おい
)
で後を
嗣
(
つ
)
いだ)をたすけて
侃々
(
かんかん
)
の論を吐いていた。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
時に王既に
今川了俊
(
いまがわりょうしゅん
)
の為に圧迫せられて衰勢に陥り、征西将軍の職を
後村上帝
(
ごむらかみてい
)
の皇子
良成
(
ながなり
)
王に譲り、
筑後
(
ちくご
)
矢部
(
やべ
)
に閑居し、読経礼仏を事として、兵政の
務
(
つとめ
)
をば執りたまわず、年代
齟齬
(
そご
)
するに似たり。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
“今川了俊(今川貞世)”の解説
今川 貞世(いまがわ さだよ)は、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、守護大名。室町幕府の九州探題、遠江、駿河半国守護。九州探題赴任中は備後、安芸、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の守護も兼ねた。歌人としても名高い。法名は了俊(りょうしゅん)で、今川了俊と呼ばれることも多い。没年は異説あり。『難太平記』の著者である。
(出典:Wikipedia)
今
常用漢字
小2
部首:⼈
4画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
了
常用漢字
中学
部首:⼅
2画
俊
常用漢字
中学
部首:⼈
9画
“今川”で始まる語句
今川義元
今川小路
今川
今川家
今川橋
今川燒
今川往来
今川範国
今川範氏
今川治部大輔