順承ゆきつぐ)” の例文
弘前藩はすべからく当主順承ゆきつぐと要路の有力者数人とを江戸にとどめ、隠居信順のぶゆき以下の家族及家臣の大半を挙げて帰国せしむべしというのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この年五月十五日に、津軽家に代替だいがわりがあった。信順は四十歳で致仕して柳島の下屋敷にうつり、同じよわい順承ゆきつぐ小津軽こつがるからって封をいだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この時肥後国熊本の城主細川越中守斉護なりもりの四子寛五郎のぶごろうは、津軽順承ゆきつぐ女壻じょせいにせられて東上するので、途中良三と旅宿を同じうすることがあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此地震には又既に記した榛軒門人渡辺昌盈しやうえいが死んだ。渡辺は陸奥国弘前の城主津軽越中守順承ゆきつぐに仕へて表医師となり、三十人扶持を受けてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
津軽家は順承ゆきつぐの世に柏軒を招請し、承昭つぐあきも亦其薬を服した。柏軒の歿後に其後をいだものは塩田楊庵であつた。当時津軽家の中小姓に板橋清左衛門と云ふものがあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)