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銅雀台
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どうじゃくだい
ふりがな文庫
“
銅雀台
(
どうじゃくだい
)” の例文
丞相もし蜀の山川風光の美もまだ見給わずば、いつでもお遊びにおいでください。おそらくふたたび
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
にお還りの日はないでしょう
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
見ずや、許都の府は栄え、曹操の威は振い、かの
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
の春の遊びなど、世の
耳目
(
じもく
)
を
羨
(
うらや
)
ますほどのものは聞くが、ここ漢朝の宮廷はさながら百年の
氷室
(
ひむろ
)
のようだ。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹軍の
北伐
(
ほくばつ
)
にあたって、戦乱の地から移ってきた知人のはなしに、曹操は河北の平定後、
漳河
(
しょうが
)
のほとりに楼台を築いて、これを
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
と名づけ、造営落工までの費え千余日
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鄴城
(
ぎょうじょう
)
(河北省)の
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
は、足かけ八年にわたる大工事の落成を告げていた。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もし呉を平げたあかつきには、かの
漳水
(
しょうすい
)
の
殿楼
(
うてな
)
——
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
に二女を迎えて、共に花鳥風月をたのしみながら自分の英雄的生涯の終りを安らかにしたいものだと、今なお心に夢みているのだった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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一年余の工を積んで、
漳河
(
しょうが
)
の
畔
(
ほと
)
りに
銅雀台
(
どうじゃくだい
)
を築いた。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“銅雀台”の解説
銅雀台(銅雀臺、どうじゃくだい)は、魏の太祖、曹操が魏王に昇爵した時に鄴(ぎょう)(現在の河北省邯鄲市臨漳県三台村)に造営した宮殿。210年の冬に造営された。現在は遺跡がある。
(出典:Wikipedia)
銅
常用漢字
小5
部首:⾦
14画
雀
漢検準1級
部首:⾫
11画
台
常用漢字
小2
部首:⼝
5画
“銅雀”で始まる語句
銅雀