“郝昭”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
かくしょう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
これなん先に魏が孔明の再征を見越して、早くも築いておいた陳倉の城で、そこを守る者も、忠胆鉄心の良将、かの郝昭なのであった。
“郝昭”の解説
郝 昭(かく しょう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の軍人。字は伯道。并州太原郡の出身。子(嫡子)は郝凱。「明帝紀」が引用する『魏略』に記述がある。
若い頃から軍人として曹操に仕えた。勇猛果敢で、各地を転戦して武功を立て、雑号将軍となった。
220年、西平の麹演が反乱を起こし、酒泉の黄華と張掖の張進がこれに呼応して太守を殺害すると、武威の異民族もこれに呼応した。魏平と共に以前から金城に駐屯していた郝昭は、詔勅を受けていたものの動けずにいたが、蘇則の助けにより進軍し、蘇則や毌丘興(毌丘倹の父)と協力してこれを鎮圧した(「蘇則伝」)。
227年、西平の麹英が反乱を起こすと、郝昭は鹿磐と共に鎮圧に派遣され、麹英を斬った(「明帝紀」)。河西を鎮守すること十年余り、民も異民族も畏服したという。
(出典:Wikipedia)
若い頃から軍人として曹操に仕えた。勇猛果敢で、各地を転戦して武功を立て、雑号将軍となった。
220年、西平の麹演が反乱を起こし、酒泉の黄華と張掖の張進がこれに呼応して太守を殺害すると、武威の異民族もこれに呼応した。魏平と共に以前から金城に駐屯していた郝昭は、詔勅を受けていたものの動けずにいたが、蘇則の助けにより進軍し、蘇則や毌丘興(毌丘倹の父)と協力してこれを鎮圧した(「蘇則伝」)。
227年、西平の麹英が反乱を起こすと、郝昭は鹿磐と共に鎮圧に派遣され、麹英を斬った(「明帝紀」)。河西を鎮守すること十年余り、民も異民族も畏服したという。
(出典:Wikipedia)