訃音ふいん)” の例文
一書生、東都に留学中、郷里にて未来の妻君と定めたる一少女の訃音ふいんに接せり。時たまたま転居して、別に新たなる下宿屋に行けり。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
取残されたる叔父のかなしみ、なかなかにいい尽すべくもあらず。小林蹴月こばやししゅうげつ君も訃音ふいんにおどろかされて駈け付け、左の短尺たんざくを霊前に供えられる。
江戸参勤中で遠江国とおとうみのくに浜松まで帰ったが、訃音ふいんを聞いて引き返した。光貞はのち名を光尚みつひさと改めた。二男鶴千代つるちよは小さいときから立田山の泰勝寺たいしょうじにやってある。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
加世子の訃音ふいんを受け取った葉子が、半年の余も閉じもっていた海岸の家を出て、東京へ出て来たのは、加世子の葬式がすんで間もないほどのことであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
先生は、この訃音ふいんを行きつけの珈琲店コオヒイてんで耳にしたが、元より一通りの感銘しかうけやうはない。
手巾 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
年末から新年へかけて新聞紙でよく名士の訃音ふいん頻繁ひんぱんに報ぜられることがある。インフルエンザの流行している時だと、それが簡単に説明されるような気のすることもある。
藤の実 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
丁度その頃母の死んだ訃音ふいんと、マリイが人と結婚した通知とに接したが、ステパンはそれにも動かされなかつた。只内生活に関してのみ注意し、又利害を感じてゐるのである。
日清日露の戦友がドンドン死んで行くのである。老少不定ろうしょうふじょうとはいうものの、がいして元帥げんすい大将たいしょう中将と古参順に訃音ふいんが来る。これは勢い仕方がない。お祖父さんもく認めている。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
是れ梁川星巌が東海道に於て襄の訃音ふいんを聞きて寄せし所なり。其言何ぞ悲しきや。襄は天保三年九月二十三日を以て其の愛妻及び十歳の又二郎と七歳の三木三郎とを残してけり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
それから四五年の後に私は突然F君の訃音ふいんに接した。咽頭いんとう癌腫がんしゅのために急にくなったと云うことである。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この訃音ふいんにしてまことならば、今朝、途中にて某にあうべきはずなければ、かつ驚きかつ怪しみ、一時呆然ぼうぜんとしてありしが、とにかく打ち捨ておくべきことにあらねば
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
今日こんにちではあまり用をなさないので、私もほとんど忘れていたが、今や先生の訃音ふいんを聞くと同時に、にわかにかの字書を思い出して、塵埃ほこりはたいて出して見た。父は十年ぜんに死んだ。先生も今や亡矣なし
一日一筆 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
学殖は弟に劣っていても、才気の鋭い若者であったのに、とかく病気で、とうとう二十六歳で死んだのである。仲平は訃音ふいんを得て、すぐに大阪を立って帰った。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかるところ、その後に親戚の者の訃音ふいんに接し、されば、過日の夢は全く精神の感通に相違ないと速断するのである。これは符合というにあらずして、類似というにすぎぬ。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
この男は本国姫路にいるので、こう云う席には列することが出来なかったが、訃音ふいんに接するや否や、弔慰くやみの状をよこして、敵討にはきっと助太刀をすると誓ったのである。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私には香花かうげ手向たむくべき父の墓と云ふものが無いのである。私は今はおぼえてゐぬが、父の訃音ふいんが聞えた時、私はどうして死んだのかと尋ねたさうである。母が私に斬られて死んだと答へた。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
街の角々には黒縁くろぶち取りたる張紙はりがみに、この訃音ふいんを書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説おくせつ附けて売るを、人々争ひて買ふ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかしこれは枳園の手書しゅしょではなくて、その訃音ふいんであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)