船上山せんじょうせん)” の例文
そのうえ、はるか伯耆ほうき船上山せんじょうせん行宮あんぐうからも、千種ちぐさノ中将忠顕ただあきが、山陰中国の大兵を組織して、丹波ざかいから洛中をうかがっていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきに伯耆ほうき船上山せんじょうせんを立たれた帝の瑶輿ようよ(こし)は日をかさねて、二十七日、播磨はりま書写山しょしゃさんまで御着ごちゃく
だが、さしあたっては、隠岐脱出の帝をたすけて、名和長年なわながとし船上山せんじょうせんる経緯をつづってゆく。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まったく、其許そこ一人の智謀がよく今日を招来したのじゃ。勲功随一と申してよい。早々に、伯耆ほうき船上山せんじょうせんのみかどの御本営へ、事のよしを使いにのぼせ、奏聞そうもんに達しおくぞよ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……だから麓へ下って来るにはおよばん、ただ船上山せんじょうせんの方の手配をすぐたのむと、この父に代って申せ。そしておまえも叔父さまの手に付いて、ここは一生の働きどころと思うて働け
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしまだ、みかどがお船にあるこそ良けれ、日暮れを待って、近くの加茂の村社へお迎えいたし、そこでお身支度のうえ、ここより東二里余の船上山せんじょうせんへ安んじ奉りたいとぞんじまする
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
船上山せんじょうせん
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)