“神明町”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
しんめいちやう50.0%
しんめいちょう50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
途上、神明町しんめいちやう狭斜けふしやを過ぐれば、人家の倒壊せるもの数軒を数ふ。また月見橋つきみばしのほとりに立ち、はるかに東京の天を望めば、天、泥土でいどの色を帯び、焔煙えんえんの四方に飛騰ひとうする見る。
向う三軒両隣を問はず、親しさうに話し合つたり、煙草やなしをすすめ合つたり、互に子供のりをしたりする景色は、渡辺町わたなべちやう田端たばた神明町しんめいちやう、——ほとんど至る処に見受けられたものである。
初め麹町こうじまち八丁目の鳥羽とば藩主稲垣対馬守長和ながかずの邸内にあったのが、中ごろ築地海軍操練所内に移るに及んで、始めて攻玉塾と称し、次でしば神明町しんめいちょう商船黌しょうせんこうと、しば新銭座しんせんざの陸地測量習練所とに分離し
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)