督戦とくせん)” の例文
直義の督戦とくせんとなると、麾下きかの将士はみな死神のむちを聞くように、武者肌をそそけ立てた。かならず、死人の山を越えさせるからであった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後醍醐は、そのおわすところの大岳の大本営で、親しく、軍事を聞かれ、ときには、武士への軍忠状まで、ご自身、お書きになるほどな督戦とくせんぶりであった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
督戦とくせんしていたが、変幻極まりない武田軍の陣容は、たちまち変貌へんぼうして、左右に迫り、へたをすれば、うしろ巻きしている家康自身の陣地が、浜松と遮断しゃだんされそうな形になった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし長曾我部元親、盛親の父子も、土佐と阿波との境——大西白地おおにしはくちの城を本営として、それを援護し、さかん督戦とくせんしていたので、攻囲軍は、不落ふらくの絶壁に突き当ってしまった形だった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叡山は諸国の僧侶や信徒にとって、もっとも顕著な反信長の本山であるが、その叡山に、裏から兵糧を送り、武器を与え、間断なく、煽動と督戦とくせんに努めているものは、義昭そのものであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
という督戦とくせんのつもりで入れ、また町人百姓は、すべて自国の富財であるから、これも敵に利用されぬためという考えのもとに行われた策だったが、何ぞ計らん、この献策をなした稲葉伊予守いなばいよのかみ
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俄に、督戦とくせん乱声らんじょうは、退がねにかわっていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、督戦とくせんしていた将も
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)