真壁まかべ)” の例文
枕山は筑波山を下って真壁まかべより更に加波雨曳かばあまびきの諸山をえて笠間かさまの城下に赴いた。笠間の城主はこの時牧野角五郎貞勝さだのりである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
茨城県の真壁まかべ地方では、女の児はこの草の花を実の入らぬ前に採って来て、毛を二つに分けてきれいに髪を結い、小さな赤い人形を着せる。
また、いばら組から脱した沼沢甚右衛門は、常陸ひたち真壁まかべに、葦沢あしざわ弥兵衛は武州牛久在うしくざいに、桜場隼人さくらばはやとは三州挙母ころも村に、それぞれ一道場を持って大いに道風を興したとある。
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常陸真壁まかべ谷貝やがい村大字上谷貝字飽土あくどは飽満の意を取り、さらに秩父の荒川に沿う秩父郡大田村大字小柱字肥土あくつに至ってはまったく発音と離れてしまった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この大水郷をめぐって、結城ゆうき新治にいばり、筑波、豊田、猿島さしま、相馬、信太しのだ真壁まかべの諸郡があり、その田領でんりょうの多くは——というよりは、ほとんどが、この地方の源平二氏の分野になっていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東北六県に地名としてまた普通名詞として最も広く行わるるタテという日本語を、手近にかつ代表的に実物をもって示しているのが、常陸真壁まかべ下館しもだての町である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
常陸国ひたちのくに真壁まかべの代官小島武弘たけひろの耳へも入った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常陸ひたち真壁まかべ郡中村大字林字土深どぶ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)