玄蕃頭げんばのかみ)” の例文
この人たちの父君だった永井岩之丞という人は、例の有名な玄蕃頭げんばのかみの子息で、柳田の養父の友達だったから、家同士よく知っている。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
若君は十六歳の春、後見を解かれ、摂津守せっつのかみに任官して正篤と名のり、松平玄蕃頭げんばのかみの女で、十七になる順子よりこと結婚した。
桑の木物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこへ江戸から乗り込んで行ったのが田沼玄蕃頭げんばのかみだ。田沼侯は筑波以来の顛末てんまつを奏して処置したいとの考えから、その年の正月に京都の東関門に着いた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
筑後國久留米二十一万石の大守有馬玄蕃頭げんばのかみ上屋敷、三田通りの一角に水天宮を勸進し、正式に諸人の參詣を許したのはずつと後の寛政年間で、日本橋に移つたのは明治になつてからですが
永井玄蕃頭げんばのかみが、之を預り大場一心斎麾下の水戸兵二百人と、新選組百五十人が守備に任じていたが、大場は元来勤王思想があるので薩長と気脈を通じている容子があるので、近藤勇は憤慨して
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ちなみに云此石川安五郎は駿府御城番松平玄蕃頭げんばのかみ殿家來と云且水田屋藤八よりの内談も有しによりかゝへ主小松屋の方にても亡逃かけおち屆を願ひ下になし安五郎の方へ身請せし事に取計ひし故今度安五郎は白妙しろたへ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
あのみなとでの合戦かっせん以来、水戸の諸生党を応援した参政田沼玄蕃頭げんばのかみは追討総督として浪士らのあとを追って来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
幸いなことには、幕府追討総督として大兵を率いる田沼玄蕃頭げんばのかみが浪士らのあとを追って来ることが確かめられた。諏訪藩の家老はじめ多くのものはそれを頼みにした。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)