正岡子規まさおかしき)” の例文
正岡子規まさおかしきに、手紙をもってわざわざ大宮公園おおみやこうえんに呼び寄せられたとき、鶉だよと云って喰わせられたのが初めてぐらいなものである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分の持って行く句稿を、後には先生自身の句稿といっしょにして正岡子規まさおかしきの所へ送り、子規がそれに朱を加えて返してくれた。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私たちの最も感謝している正岡子規まさおかしき氏なども、俳諧道の中興ちゅうこう開山ではなくて、或いは俳句という一派の新文芸の第一世ということになるかも知れぬ。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
明治以後、彼の最初の発見者たる正岡子規まさおかしき、及びその門下生たる根岸派ねぎしはの俳人に継ぎ、ほとんどすべての文壇者らが、こぞって皆蕪村の研究に関心した。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
正岡子規まさおかしき全集を一巻から四巻まで借出して、あちこち読みちらした。暗くなってから、家へ帰った。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし一般にいい出されたのは賀茂真淵かものまぶちがほめてからであり、更には正岡子規まさおかしきがほめてからである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
俳句は狂歌と同じく天保以後甚だ俗悪となりしが明治に及び日清戦争前後に至りて角田竹冷つのだちくれい正岡子規まさおかしきの二家各自同好の士を集めておおいに俳諧を論ぜしよりにわかに勃興の新機運に向へり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
明治の文人の筆蹟では正岡子規まさおかしきのと夏目漱石のと紅葉のが一番高く売買される。
正岡子規まさおかしき以来、多くの俳人や歌人たちは伝統的に写生主義を信奉しているけれども、芭蕉や蕪村の作品には、単純な写生主義の句が極めてすくなく、名句の中にはほとんどない事実を
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
その時は正岡子規まさおかしきといっしょであった。麩屋町ふやまち柊屋ひいらぎやとか云う家へ着いて、子規と共に京都のよるを見物に出たとき、始めて余の目に映ったのは、この赤いぜんざいの大提灯である。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
正岡子規まさおかしきらのいわゆる根岸派ねぎしはの俳人らは、蕪村のこうした句を「印象明白」と呼んで喝采かっさいしたが、蕪村の句には、実際景象の実相を巧みにとらえて、絵画的直接法で書いたものが多い。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)