杵築きつき)” の例文
もと豊後ぶんご杵築きつきの藩士で、大阪なかしまにあった藩の蔵屋敷の定詰じょうづめであったが、御一新ごいっしん後大阪府の貫属かんぞくとなって江戸ぼりに住んでいた。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
また、良人の忠興は、数度の軍功に、秀吉から引立てられて、豊後杵築きつき大禄たいろくに封ぜられている。——そして大坂でのやしきは、玉造たまつくりにあった。
かくてそれがしは即時に伽羅きゃら本木もときを買取り、杵築きつきへ持帰り候。伊達家の役人は是非ぜひなく末木うらきを買取り、仙台へ持帰り候。
一行の中には豊後の甲原かふはら玄寿があり、讚岐の臼杵うすき直卿があつた。玄寿、名は義、漁荘と号した。杵築きつき吉広村の医玄易の子である。直卿、名は古愚、通称は唯助、黙庵と号した。後牧氏にあらためた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
細川忠利が隈本城主になったのは寛永九年だから、これも年代が相違している。そこで丁度ちょうど二条行幸のまえ寛永元年五月安南国から香木が渡った事があるので、それを使って、隈本を杵築きつきに改めた。