十三代の将軍が、わずかに三十五歳で亡くなった後に、幕府では例の継嗣けいし問題で騒ぎました。その揚句あげくに紀州から迎えられたのが十四代の将軍昭徳院殿しょうとくいんでん家茂いえもち)であります。