明智光秀あけちみつひで)” の例文
馬をとばして浦戸うらどの城へかけつけた使者によって、右大将信長が、京都本能寺ほんのうじ明智光秀あけちみつひでのためにほろぼされたことが、元親につたえられた。
だんまり伝九 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そもそも、本能寺の変の折から四国征伐の途中、大坂にいた丹羽五郎左が、明智光秀あけちみつひでに当るべく、たれよりも、頼みにしたのは、秀吉であった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長は、一五八二年、その重臣の明智光秀あけちみつひでに、本能寺で殺された。すなわち、その権力は九年間であった。
武田のほろびた天正十年ほど、徳川家の運命のはかり乱高下らんこうげした年はあるまい。明智光秀あけちみつひでが不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉はしばひでよし毛利もうり家と和睦わぼくして弔合戦とむらいがっせんに取って返す。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
明智光秀あけちみつひでの如きも、信長公があれほどの短気でなかったならば、謀叛むほんはしなかったであろうが、たとえ信長公が短気であったところで、光秀そのものに謀叛気がなければ、あんなことにはならぬ
それが、たった一日でこのありさま。おもえば明智光秀あけちみつひでという野郎やろうも、えらい魔火まびをだしやあがったものだなア……
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宿所に帰ると、明智光秀あけちみつひで
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)