後詰うしろまき)” の例文
中国戦の味方の不振は、何といっても、味方の総兵力を、三木城の攻撃と、上月城の後詰うしろまきに、二分しているところに、第一の原因がある。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、毛利輝元の本軍は、福山の半腹に先鋒をおき、そこから西へかけ猿掛城さるかけじょうあたりを中心に、後詰うしろまきをそなえていた。その兵力は約一万余。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いま岡崎におす殿の許へ、わしの書状をもって、後詰うしろまきの催促にまいってくれい。大任じゃぞ、勝吉。よいか、そちに命じる貞昌の心をめよ」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お心はうれしいが、いざ一朝いっちょうのせつは、この河内、大和は王軍にとってたいせつな穀倉の地、また後詰うしろまきのお味方の地。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
危急は迫ると、く、岡崎へ向って、援軍の後詰うしろまきを仰いではあるが、なんとしたか、いまもって、お沙汰は聞えぬ
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『おや、ここの陣所だけは、後詰うしろまきでうごくめえと思ったら、これやあいけねえ、まで戦がひろがって来やがった。今夜あたり、敵が、せてくるか、此っから出てゆくらしいぞ』
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(残念だなあ。なぜ木下軍は、お味方の後詰うしろまきなどに廻されたのか。信長様にいて先鋒をうけたまわっているならば、浅井家第一の豪傑といわれている敵の遠藤喜左衛門の首は、必ず俺の物なのに)
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北の但馬や美作みまさか地方から、いくらでも後詰うしろまき(応援)のできる強味もある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「早々、後詰うしろまきして、孔明の軍を衝き給え」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
米沢後詰うしろまき
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)