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左顧右眄
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さこうべん
ふりがな文庫
“
左顧右眄
(
さこうべん
)” の例文
伯父の一つの道への盲信を憐れむ(あるいは羨む)ことは、同時に自らの
左顧右眄
(
さこうべん
)
的な生き方を表白することになるではないか。
斗南先生
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
ところが
素々
(
もともと
)
事大
(
じだい
)
思想に
囚
(
とら
)
えられていた朝鮮は
左顧右眄
(
さこうべん
)
、容易に日本に信頼するの態度を示さざる結果、ついにあんな仕末になってしもうたのである。
日支親善策如何:――我輩の日支親善論
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
しかも意力そのもののやうに一度も
左顧右眄
(
さこうべん
)
したことはなかつた。「タイイス」の中のパフヌシユは神に祈らずに人の子だつたナザレの
基督
(
キリスト
)
に祈つてゐる。
文芸的な、余りに文芸的な
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
決して
左顧右眄
(
さこうべん
)
しない。独逸文学にあらはれた暗さが、また力強さが、軽い文化に捉へられないやうな魂の辛さが、今度の大戦にも名残なくあらはれてゐる。
真剣の強味
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
左顧右眄
(
さこうべん
)
させて、
終
(
つい
)
に或る処まで、見越をつけさせて仕舞うような何かの動機があるのである。
概念と心其もの
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
▼ もっと見る
花鳥諷詠、目標をそこに置いて年月を重ねて研究を積むことによって新しい境地はいくらでも
拓
(
ひら
)
けてくるのである。
徒
(
いたず
)
らに
左顧右眄
(
さこうべん
)
確信なき徒輩たる
勿
(
なか
)
れ。(『玉藻』、二七、一二)
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
それが肥えた馬、大きい車の霊ででもあるように、
大股
(
おおまた
)
に行く。この男は
左顧右眄
(
さこうべん
)
することをなさない。物にあって一歩をゆるくすることもなさず、一歩を急にすることをもなさない。
空車
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
「はてな?」と風の砕花老、そろそろ小首を傾げはじめ「××化学工業の中っていうんだが、中だけに、始末がわるいな。いちいち、訊いて歩くのもへんだし」と、
左顧右眄
(
さこうべん
)
、忙しげである。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その
隙間
(
すきま
)
は氏が
熱情的
(
ねつじやうてき
)
な
理想家
(
りさうか
)
のやうに見え乍ら、その底に於ては理智が
働
(
はたら
)
き過ぎるといふ
結果
(
けつくわ
)
から、
周圍
(
しうゐ
)
に對してどうしても
左顧右眄
(
さこうべん
)
せずには居られないといふところがあるかも知れません。
三作家に就ての感想
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
だが、すでにこの道に入った以上、
左顧右眄
(
さこうべん
)
すべきではない。殉ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまでやりましょう。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。
巴里のむす子へ
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
(1) 僕は或は谷崎氏の言ふやうに
左顧右眄
(
さこうべん
)
してゐるかも知れない。いや、恐らくはしてゐるであらう。僕は如何なる悪縁か、
驀地
(
まつしぐら
)
に突進する勇気を欠いてゐる。
文芸的な、余りに文芸的な
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
偸安に便利な条件を
左顧右眄
(
さこうべん
)
して探すのではなく、愛しうるひとを愛し抜こうとしてゆく人間の意志とその実践と、その過程に生まれてゆく新しい社会的価値の発見であると思う。
若き世代への恋愛論
(新字新仮名)
/
宮本百合子
(著)
だが、すでにこの道に入った以上、
左顧右眄
(
さこうべん
)
すべきではない。
殉
(
じゅん
)
ずることこそ、発見の手段である。親も子もやるところまでやりましょう。芸術の道は、入るほど深く、また、ますます難かしい。
巴里のむす子へ
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
左
常用漢字
小1
部首:⼯
5画
顧
常用漢字
中学
部首:⾴
21画
右
常用漢字
小1
部首:⼝
5画
眄
漢検1級
部首:⽬
9画
“左顧右”で始まる語句
左顧右盻