呂宋るそん)” の例文
「もう内地では、うまい儲けはありっこない。呂宋るそん助左衛門とか、茶屋助次郎といった人のように、るかるかで海の外へ出かけなければ」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根来寺ねごろでらの塔に住んでいたのも、殺生関白せっしょうかんぱく太刀たちを盗んだのも、また遠い海のそとでは、呂宋るそんの太守を襲ったのも、皆あの男だとか聞き及びました。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
長崎ながさき表に根城を構えて、遠くは呂宋るそん天竺てんじくあたりまでへもご法度はっとの密貿易におもむく卍組まんじぐみの一味にござりました。
その昔、足利時代に泉州堺が開港場であつて、呂宋るそん助左衛門と云ふ海賊が大成金振を発揮したことがある。
次に秋月種実が強迫的に得ようとしたが呂宋るそん暹羅しゃむ、明国を股にかけ、地獄をも天国をも恐れようとはしない海上王たる宗湛に執っては、強迫が強迫に成らなかった。で、ニベも無く断わった。
赤格子九郎右衛門 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
同じ渡海とかいを渡世にしていても、北条屋は到底とうてい角倉かどくらなどと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室しゃむろ呂宋るそんへ、船の一二そうも出しているのですから、一かどの分限者ぶげんしゃには違いありません。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
呂宋るそん助左衞門、石川五右衞門、石田三成、とかう秀吉をめぐる五人のそれぞれ特徴のある人物を組ませて、是を「慶長五人男」とし、二百回ぐらゐな新聞小説にかいてみようと思つたことがあるが
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)