側役そばやく)” の例文
また小姓の上に立って君側の監督等をしている側役そばやくなるものも三、四人あったが、その中に下村三左衛門というは私の叔父である。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
平太郎は知行ちぎょう二百石の側役そばやくで、算筆さんぴつに達した老人であったが、平生へいぜいの行状から推して見ても、うらみを受けるような人物では決してなかった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
尋ねしにこの夫婦の者浪人せしは其頃越後高田の城主じやうしゆ松平越後守殿まつだひらゑちごのかみどの藩中はんちうにしてたか二百石をりやう側役そばやくつとめし者なるが女房は同藩の娘にてお梅といつて是も奧を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
戸沢がこういって勧めた時、五百は容易にこれに耳をかたぶけた。五百は戸沢のひとりを喜んでいたからである。戸沢惟清、通称は八十吉やそきち信順のぶゆき在世の日の側役そばやくであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
私の父は側役そばやくといって、君侯のそばで用を弁じる者即ち小姓の監督をし、なお多少君侯に心添えもするという役で、外勤めの者の頭分かしらぶんというのと同等に待遇されていた。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
兄の介錯は高田十兵衛、弟のは村上市右衛門がした。橋谷は出雲国いずものくにの人で、尼子あまこ末流ばつりゅうである。十四歳のとき忠利に召し出されて、知行百石の側役そばやくを勤め、食事の毒味をしていた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)